(バッシャール・アル=アサド大統領
出典:Wikipedia)
こんばんは、品川です。(2018年)4月13日に米英仏のシリアへのミサイル攻撃がありました。
シリアは、どのような意味で欧米の敵なのでしょうか。
分からないところもあるので、すこしまとめてみたいと思います。
・バアス党(バース党)による社会主義。
(「バアス党の旗」出典:Wikipedia)
シリア、正式には「シリア・アラブ共和国」は、バアス党(バース党)一党支配体制の社会主義国です。
「シリア・アラブ共和国」内に社会主義体制ができたみたいで、このため奇怪な大統領制が敷かれています。
1963年「3月8日革命」と呼ばれるクーデタによって国権を握りました。
図らずもイスラム国問題で隣接するイラクでもフセイン大統領のもと、バアス党政権が独裁体制をしいていた時期がありました。これは1968年7月17日のクーデタによって実現したもので、シリアのクーデタの直接的な引き金になりました。
しかしイラクでは、バアス党政権は、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争により、崩壊しています。フセイン大統領も2003年に処刑されました。
バアス党(バース党)ですが、これは「社会主義の力によってアラブ統一を目指す」政党です。
こんなところにも社会主義が独裁体制のイデオロギーとして使われているのを見ると、複雑な気持ちになりますね。
・アサド家。
1971年から40年以上続く
「アル=アサド」家の支配。
アブドゥル=ハリーム・ハッダーム氏は
政治素人の軍人バッシャール現大統領が、
父ハーフィズの後を継ぐまでの「中継ぎ」だった模様。
(出典:Wikipedia)
社会主義政党だったはずのバアス党(バース党)は、やがてアサド家の私物と化して行きます。
アサド家の支配は、1970年ごろから現在まで、40年以上続き、民衆の不満が募り募ったところで2010年に起こったアラブの春が火をつけました。
これが現在に至るシリア内戦の始まりです。
実に内戦開始から8年目に入るわけです。国連報告によると2016年6月の時点で、約25万人の死者、約650万人の国内避難民が発生し、周辺諸国に約480万人の難民が流出した模様です(外務省)。
・化学兵器使用。
(クリックで移動します)
シリア内戦はイスラム国の成立を許しました。
しかしそれに同じくらい問題だったのは、シリア政府による化学兵器の使用でした(上掲画像)。初めてそれが確認されたのは、2013年8月だったと言われています。神経ガス・サリンを含む化学兵器の使用が認めらえれたとのこと。
この非人道的(その前に内戦の時点で非人道的ですが)な事態に対し、当時大統領だったオバマ大統領が軍事行動に出ました。
今年(2018年)4月13日における米英仏のシリアへのミサイル攻撃は、そういった問題の延長線上にあったわけです。
・地政学的影響。
(出典:外為オンライン)
月足ドル/円チャートです。
左端が2008年リーマンショックを表しています。
こうやってみるとシリア内乱が相場に与えた影響など皆無なのが分かるでしょう。
上掲チャートのポイントは3つです。
① 2008年リーマンショックによるチャート左端から始まる下落。
② 2010年ギリシア危機がその底打ちをさらに下げた(ドル/円75円台へ)。
③ 相場の回復後、2016年BREXITとトランプ大統領選勝利のダブルパンチで再び下落。
こうして、現在に至ります。
どうでしょう、当時はあんなに大きな出来事だったのが、案外思い出せないのではないでしょうか。
いずれにせよ、多くの死者を出したシリア内戦の面影をこのチャートに見ることはできません。
相場はかくも残酷なものと言えそうです。
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それでは、これで本連載はおしまいです。
シリーズ化というより、節目節目でまとめて行きたいと思います。
それでは。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。m(_ _)m
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