(「首都ラッカ」出典:CNN)
こんばんは、編集長です。
前回から大分経ってしまいました。
前回、「地図上左端のイスラム国(シリアとイラク)と、右端のアルカイダ(アフガニスタン)、遠く離れた2つの勢力は、どうやってつながりを持ったのか?」と問いを立てて終わりました。
が、私自身、北アフリカのマリ情勢について書いたことにより答えを得られた気がします。北アフリカに、突然、アルカイダが登場していたからです。
アフガニスタンに帰属させられるのは、アルカイダではなくむしろ(アルカイダを庇護した)タリバンだけで、アルカイダ自身は世界的な遊牧組織と言った方が良いのでしょう。
・イスラム国の誕生まで。
(クリックで移動します)
イスラム国を誕生させたのは、ブッシュアメリカ前大統領による、イラク攻撃だと言われています。
シリアとイラクにまたがるイスラム国(上掲画像)。
2001年の同時多発テロの報復として、ブッシュ大統領のもとアメリカは、アルカイダとそのトップであるオサマビンラディンを血眼で探します。
まず、2001年アルカイダ出現の源となったタリバンの居るアフガニスタンを攻撃します。
これにより、(アフガニスタンに居た)オサマビンラディンはイラクに逃亡します。
このとき、イラクに居た、いち青年アブ・ムサブ・アル・ザルカウィが、ビンラディンに心酔しつつ「イラクのアルカイダ(Al-Qaida in Iraq;略称AQI)」を立ち上げます。これがイスラム国の起源に他なりません。
ザルカウィは、2006年のアメリカの爆撃により死亡しています。Wikipediaには死骸の写真が載っていますので、心臓の弱い方は検索なされないほうが良いでしょう。
・執拗なアメリカのイラク攻撃。
(「湾岸戦争」出典:Fighter Copters gone wild)
このように現在イラクとシリアの国境にあるイスラム国は、もともとイラクで生まれました。
イラクと言えば、1991年の湾岸戦争が思い出されます。この戦争で、アメリカは、国連軍を率い、サダムフセインが実権を得ていたイラクに戦争を仕掛けました。
ここで重要なのは、湾岸戦争にイスラム教は関係なかったということです。フセイン大統領のイラクが、国連軍を敵に回してまで暴れたのは、イスラム教が理由ではありませんでした。ただ国家として経済的に窮地に立たされていたからです。そもそもフセイン大統領は、イスラム教でも穏健なスンニ派でした。
にもかからず、執拗なアメリカの介入・爆撃は、イスラム非イスラム問わず、イラクの青年たちに反米感情を刷り込んだに違いありません。
そこに、イスラム国出現の起源を見出すことは、そう難しくないでしょう。
・追記:アフガニスタン。
(「ランボー怒りのアフガン」
出典:Wikipedia)
イスラム国については、まだ現在進行形で書くべきことがありますけれども、とりあえずこの辺りで留めておきたいと思います。
最後に、タリバンを生み、アルカイダを養ったアフガニスタンについて、二言三言、付け加えておきます。
私たちが知るアフガニスタンは、せいぜい、1988年の映画「ランボー3 怒りのアフガン」(上掲画像)くらいでしょう。
しかしこの映画は、アメリカ vs. アフガニスタンを描いたものではなくて、アメリカ vs. ソ連(1991年崩壊)を描いたものです。
意外なことに、イスラム教徒とランボーの共闘さえ描かれています。
アフガニスタンという国は、そもそも非アラブで、歴史的に、ペルシア人(イラン人)の支配を受けることにより、イスラム化を遂げて来たところです。
この意味で、彼らアフガニスタン人は、もしかしたら、アラブ人を中心としたイスラム教徒と異なった発想を持っているのかも知れません。
ランボーのアメリカと簡単に共闘できるところなど、映画の中ですが、そういったアフガニスタン人特有の柔軟さを表していると言えるのではないでしょうか。
映画の中ですが・・・。
いすれにせよ、このあたりの複雑なイスラム教の事情を理解しなければ、イスラム国のことなど、本当に理解できないのかも知れません。
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それでは、本連載はここまです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。m(_ _)m
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