(「ゼイビアウッズ↑」
出典:この記事)
こんばんは、ヤマガタです。
一度だけ、ちょろっと触れた、プロレス=アート論(この記事)。
Cagesideseatsに興味深い論考があったので、肩の力を抜いて読めるように加工して、ご紹介させてもらおうともいます。
・Wrestlelamia
さいきん、私が好んで見ているのが、レッスルラミア(Wrestlelamia)というYouTubeチャンネルです。
以前、ボッチャマニア(Botchamania)をご紹介しましたが、その先輩で・・・ボッチャマニアより、ずっと良い出来ですね。
ボッチャマニアは、ちょっと内輪ネタ、自己満足が多くて辟易するところがあるのですが、レッスルラミアは、淡々と進む感じで、見入ってしまう内容です。
下手なテレビ番組より面白いです。
内容的にもボッチャマニアとレッスルラミアは対抗関係にあるみたいで(はっきり言われて無いですが)・・・
なんか、ジェリコがCMパンクにビールをかけてコケた(レッスルラミア)と言っていたのを、あれはウイスキーだよ(ボッチャマニア)・・・みたいに、チクチク言い合ってます。
すんません。該当動画↑は、付焼刃で探しても、みつかりませんでした。
で、レッスルラミアですが・・・おススメは以下↓の動画です。
① 10 Next Level & Funniest Oversells By WWE Wrestlers
→ 相手の技をキレイに見せるってのは、プロレスにとって必要不可欠な技術だ、みたいな話。
・
② 11 WWE Wrestlers Who Saved Their Opponent From Injury or Even Death!
→ 表面的には対立しているが、実際の試合で行われているのは相互信頼だ、みたいな話。
・・・ようするに、プロレスとはなにか、ってのが↑これらの動画で説明されてます。
かなりWWEナイズされた話なので(おなじことはもちろん新日本プロレスにもあるでしょうが)、もっとはっきり、プロレスの本質を知りたかったら、というかプロレスで何が起こっているかを知るには、見ておいて損はないとおもいます。
私は、ああバロンコービンって、いいレスラーなんだな、と教えられました。
・Cagesideseatsの記事
で、冒頭で取り上げたCagesideseatsの記事ですが・・・
アートとしてのプロレスは定義できるか
Defining Pro Wrestling as an Art Form
・・・という記事です。
ちょっと理屈っぽいんで、長いのはバンバン飛ばしてしまいます。
・ゼイビアウッズ
トップ画像でゲームしたりメシ食ったりしている、ゼイビアウッズが、結構いいことを言っているみたいです。それが引用されることでCagesideseats記事は始まっています。
ゼイビア「プロレスは、シェイクスピアの劇が最終形態をとったようなものさ。」
・
ウッズ「360度から見渡せる舞台で、観客は、レスラーたちが肉体を使って伝えるストーリーに興奮する。」
・
ゼイビアウッズ「レスラーにとって肉体ってのは、画家にとっての絵具みたいなもんなのさ。」
・
Wrestling is one of the last forms of Shakespeare in the round… The crowd is watching men and women tell stories through physicality with an audience at a 360-degree setting. Artist[s] use paint to create art on a canvas, and we use our fists and feet to create art on a canvas. It’s art.
インタビューではないです。
Twitterからなにかから、引用しているみたいです。
・・・最近、キースリーがパフォーマンスセンターで再研修を命じられた、みたいなことが話題になっています。
参考:KEITH LEE AMONG SEVERAL WWE TALENTS TOLD TO GET ADDITIONAL TRAINING
ようするにシェイクスピア度が足らない、ってことでしょうか。
まだビンスの満足ゆく出来ではない、ってことなのでしょう。
・・・ただ、シェイクスピアにしてはゲスいことやってますけどね。
・どう評価するか?
Cagesideseatsのなが~い文章は、ふたつ問いを扱っています。
Q1. プロレスというアートはどこから始まるのか?
・
Q2. アートの制作者は?
・・・たぶん、この記事書いているのは、大学で演劇とか学んでいる子でしょうね。
ちょっと、そこまで理屈をこねたくない、って気分もします。
ひとつ、面白い論点だけあげると、ひとつめの問い、プロレスというアートはどこから始まるのか?は、デイブメルツァーのレーティングに反論している、ということです。
プロレスはUFCみたいな単発試合の競技ではないから、メルツァーのやっていることは、おかしいだろう、と。
ふたつめの問い、アートの制作者は?も同じようなことだとおもいます。
プロレスリングイラストレイテッドのやっているレスラー100みたいのもどうかね、って話です。
選手、制作者、会場が一体になってのアートだから、単品でレスラー見ても仕様がないよね、みたいな話になります。
まあ、いろいろありますが、私は、アートでも、”いい試合だなあ”としみじみ思う(つぶやく)ときに自己満足を覚えます。
なんか、オレも見方わかってきたじゃん、みたいな、ど自己満足ですね。
・・・・・・
それでは、UFC 256楽しみにして待ちましょう。
さよなら、さよなら。