この通りドふさ。
1962年生まれで、これは1997年の写真。
当時35歳。
私(バールド)が薄毛発症したのが35歳で、
もうほとんど手遅れで即座にAGA治療にすがったことを考えると
(参考:この記事)
三沢光晴さんは薄毛体質ではなかったとおもう。
こんばんは、バールドです。
・・・まあ記事名に怒り狂うプロレスファンのかたも多いでしょうが、話を聞いてくださいな。
当時は、あまりそう思わなかったのですが、今見返すと、三沢光晴さんは相当イケメンでしたね(トップ画像)。
しかし私たちが覚えているのは、最後の頭が薄くなって(M字が進行していた)、おなかの出た三沢光晴さんです。
アレ、いつからだったのかなあ・・・とふと思ったのが本記事執筆の動機です。
41歳から薄毛発症(かなり遅め)
これが2003年(Googleさん注意!
これは「しんでしまう!」という
当時日本テレビでプロレスの試合を賛美するために発せられた文句で、
三沢光晴さんがお亡くなりになったこととは無関係ですよ!)
今回、時系列的に追っていったのですが、どうも三沢光晴さんの場合、2003年(41歳)が薄毛発症の年のようでした。
逆に2002年(40歳)では、まだトップ画像の若かりし頃のドふさが残っています。
41歳は薄毛発症としては、かなり遅めです。
こういう薄毛の発症時期もあるのか、と妙に勉強になりました。
と同時に、秋山準さんと武藤敬司さんも、いつ頃薄毛が発症したのか調べてみたい、ともおもいました。
これは泣く
故人ということで、今回、三沢光晴さんについて追う過程で当然、お亡くなりなった周辺の記事も読みました。
とりあえず↓これ。
参考:命を絶つことも考えた選手に届いた”ミサワの遺言”とは 没後10年、三沢光晴が遺した物
プロレスファンでなくても目頭が熱くなる記事です↑
読んでない方は、ぜひご一読を。
・・・・・
それでは、今回はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
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