(出典:Al Jazeera)
こんばんは、編集長です。(2018年)4月13日、トランプ米大統領がシリアからの撤退を表明したと思ったら、翌4月14日、シリアにミサイル攻撃を英仏連合で打ち込んだとニュースが入ってきました(産経ニュース)。もはやついて行けない・・・という印象です。
さて、本連載ですが、2012年4月から7月にかけ、閃光のようにして一瞬にして消えて行ったトゥアレグ族の独立運動「アザワド」を追っています(第1回目、第2回目)。
今回は、サハラ砂漠という土壌について見てみましょう。
よく「国家(state)」を考えるとき、領土・国民・主権という3要素が問題に成りますが、ただっぴろい飢餓と渇きに支配されたサハラ砂漠の生活を目にするとき、そういった3要素は何の意味も持たないのではないか、そんな風にさえ思えて来ます。
(以下、画像出典は、Al Jazeeraの「サハラ砂漠の孤児(Orphans of the Sahara)」です。)
・アザワグ(AZAWAGH)地方。
牛乳をこぼしたような地域が
トゥアレグ族の生存地域。
上アルジェリア。
左マリ。右ニジェール。
アザワド(AZAWAD)が、「マリ、ニジェール、アルジェリアにまたがるトゥアレグ族の生存地域」を指し示すアザワグ(AZAWAGH)の訛ったものだということは、前回お話しました。
ドキュメンタリーは、人為国家アザワドが生まれる以前の原土壌「アザワグ」へと焦点を移して行きます。
・なにも無い。
木が立っているだけ珍しい。
マリのアザワドが建国を目指すアザワグ地方・・・しかし、そこにはなにもありません。
テレビも電気もありません。水道もガスもありません。病院も学校もありません。草も生えてません。ただただ砂漠が広がっています。
・気が狂いそうだ。
オーマー氏。
「私がどう死ぬかは問題ではない」
ニジェール北方のアザワグ地方に住むオーマー(Omar Sid Nasse Shihabane)氏です。
彼も、リビアのガダフィー大佐の下で傭兵として出稼ぎに出ていました(第1回目参照)。
ガダフィー大佐は、傭兵に年収40,000ドル(約400万円)を与えていたようです。しかし、ガダフィー政権の崩壊とともに、オーマー氏は職を失い、望まぬ帰郷を果たしました。
現在の彼の肩書は、「放牧者(herder)」です。これはサハラのアザワグ地方では農業も何もできないため、家畜を飼うことしか生活のためにすることが無いからです。
彼は言います。
「傭兵の職を失って、どうやって家族を食わして行けばよいのだ・・・」
「自分が生きていようが死んでいようが、そんなことはどうでも良いのだ・・・」
「目の前の問題がすべてなのだ・・・
オーマー氏は、子供のころ、自分の父が餓死したのを目の当たりにしました。
いま彼は、15人の家族を養って行かなければなりません。
母親は病気で毎日放心状態です。遠方の医者に連れて行くことはできません。
オーマー氏は悩みで気が狂いそうだ、と訴えます。
オーマー氏の兄弟のひとりは非合法な仕方で、リビアに出稼ぎに入ったため、逮捕されました。
このため、オーマー氏は、その兄弟の家族まで養わなければならなくなりました。
・サハラの生活はどういうものか。
オーマー氏のお母さん。
病気をおしてオーマー氏のお母さんがインタビューに答えます。
「息子の人生は、貧困と飢餓に追われたものなんです。」
「それはここで暮らせば誰でも目の当たりにすることでしょう。」
「だから息子はリビヤに行った。選択肢が無かったんです。」
「サハラに住むということは飢餓に苦しむということ。」
「ある時は運よく食料を手に入れられるかもしれない。でも別のときには手に入れられないかもしれない。」
・のどの渇きが狂気の淵に立たせる。
精神疾患に成ってしまった兄弟のひとり。
サハラの飢えと干ばつは想像を絶します。とくに、のどの渇きは深刻で、ひとひとりを狂気の淵に立たせます。
オーマー氏の兄弟のひとりは、のどの渇きで発狂してしまい、囁くように独り言を言いながら放浪する悪癖を身につけてしまいました(上掲画像)。
叔父も精神疾患に成ってしまった。
また、叔父も渇きで精神疾患に成り、サハラを彷徨い、乾いた井戸に身を隠す奇行を繰り返すようになりました。
・つづきます。
こんな不毛の地、アズワグに、マリのアザワドは希望の光をもたらすことができるのでしょうか・・・そんな風に物語は進んでゆきます。
続けて、アザワドの建国運動を見てみましょう。
・・・・・
それでは、今回はここまでです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。m(_ _)m
ー